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SKさん

私は2013年1月からメンターという心を扱うプロになるためのお勉強を学ばせていただいています。学ぶ中で実践し変化したことをお伝えします。

①主人との関係
私は主人を絶対幸せにする!と決意して結婚しました。
しかしいざ結婚生活が始まってみると、思っていたのと違う…の連続でした。結婚したら幸せになれると思っていたからです。
主人は就業時間とお休みも不規則なお仕事でしたので、夜遅く帰宅し「今日のご飯何?」と台所でお鍋の蓋を開けて「これなら食べない」と言われて、私がブチ切れて戦争が勃発!
またある時は、主人から生活費に使う用として渡されていたクレジットカードを湯水のようにジャンジャン使い、請求額を見てびっくりした主人が「何に使ったのか」と聞いてきたことに対して「生活するための必要経費だよ。細かくいちいち聞かないで」とブチ切れて戦争が勃発!!と、とにかく私が常に彼の言動に対して、常に臨戦態勢をとっていました。

私はいつもイライラしている自分が嫌いでした。私は優しくしたいのになぜ主人は私をイラつかせるのか…主人がちゃんとしてくれたら、私も妻としてきちんと主人を支えられる良妻賢母になれるのに…と本気で思っていました。そんな主人との関係をどうにか解決したくて、私の師匠である池田先生に問題を整理していただきました。
問題を整理するというのは、具体的には、自分が本当はどう思っているのかを知り、そのことに対して自分がどうしていきたいか、自分が問題だと思っている事を解決できるものです。
問題を整理していただいて理解したことは、私は自分をいつもよく見せようと思って、常に周りに対して自分をごまかして大きく見せていました。そうしないと自分は誰からも必要とされず、誰からも相手にされず、誰にも愛されないと思い込んでいたからです。
ですが、私だけが、見栄を張った自分で周囲に接しており、「私が嫌いな私」の事は、周りにはバレていないと思っていました。
主人や友人、子どもたちに両親、もちろんメンターである池田先生、一緒に学んでいる私の仲間たちは、ずっと「私が嫌いな私」を知っており、ごまかした私ではなく本当の私とずっと付き合ってくれており、認めて受け入れてくれていました。本当の自分とごまかして良く見せていた自分とのギャップにずっとモヤモヤとストレスを抱えていたので、もうごまかさなくても大丈夫なのだと理解した時、本当に心から楽になりました。
ずっと受け入れてあげなかった私と真正面から向き合うことで、周囲からの優しさや愛情、心づかいといった見えない真心に気が付くことができました。
そうして私は主人に大切にしてもらっている事を理解しました。いつも私を一生懸命受け入れようと理解しようとして話をしてくれていたことも理解しました。私を理解しようと話してくれていたのに、それを私が勝手に宣戦布告と受け取り、勝手に戦争を始めていたのです。
そのことを私が理解したら、私からケンカのきっかけとなるような嫌な言い方をしなくなったので主人と普通に会話が出来るようになりました。
まだまだ私も修行中なので、ついケンカをしてしまいますが、冷静になれるまでの時間が短くなったこともあり、冷戦状態が長くなることも激減しました。

②子どもたちとの関係
もちろん、ごまかすのをやめてから、子どもたちにもよい影響がありました。
娘は私とよく似ていて、とってもかっこつけだし、良い事をしたらとても褒めてもらいたい子です。だから褒めてもらうために、自分を良く見せようと一生懸命でした。
それが、小学校に入り2年生になって勉強が少しずつ難しくなってきたころ、弊害となりました。娘は算数が苦手で「なぜ10ミリが1センチなのか。なせ60秒が1分なのか…」等概念的な部分でつまずき「そういうものだから覚えるしかないよ」という私や主人両親の説明に納得がいかなかったようです。そこで立ち止まってしまって宿題やテストも出来ない事が増えていきました。宿題をやっているのを私や主人が見ている時も常に大人たちの顔色を伺い「2センチ?えっと4センチかな?」と大人たちの表情から正解を導き出そうと必死でしたし、間違いを指摘されようものなら、ものすごく怒るし、分かっていた、という主張を繰り返していました。
それまでは宿題をきちんと全問正解で提出させないとダメな母親と思われたり、家でちゃんと関わってないと思われるかもしれないと先生に相談する気持ちが全くなかったのですが、これでは娘のためにならないと、思い切って担任の先生に相談しました。
すると担任の先生から「娘さんが、授業中とても辛そうな表情でいる理由が分かりました。学校でも間違いは宝物だともっと伝えていきます。」と言ってくださいました。それからしばらくして私がごまかさなくていいと理解した頃に娘から「大人も分からない事あるの?」と聞かれました。私は「ママも分からない事ばっかりだよ。何で10ミリが1センチなのか誰がどう決めたのかも分からないし。」と伝えました。そしたら娘が「先生もね、分からない事あるんだって。先生も小学生の頃は勉強嫌いだったんだって。でも覚えなきゃいけない事は覚えて、やってみたら分かった事もあったって。」ととても安心した表情を見せてくれました。私は「先生もママもパパもまだまだ知らない事はいっぱいあるし、分からない事だらけだし…何度もたくさんの大人たちに教えてもらって助けてもらって今があるんだよ。分からない事がどう分からないか伝えないといつまでも分からないままだから、分からないと伝えてしっかり教えてもらうんだよ」というと「ふーん。助けてとか教えてとか分からないって言ってもいいんだね。」と嬉しそうに話していました。私がいくら口で言っても何も変わらなかったけど、私がごまかさなくて大丈夫と思えたから娘にもそれが伝わり、娘自身が分からないと言えるようになったのだと思います。
後日談として担任の先生から伺ったのは「間違った人」と先生が授業中に聞くと率先して手を挙げるようになったそうです。娘が楽しそうに手を挙げるので、クラス全体が間違う事、分からない事に戸惑いが無くなったそうです。
娘が安心して間違えたと言えるようになったのは、もちろん私の影響もありますが、担任の先生が安心できるクラスを作ってくださっているからだというのも大きいです。それを担任の先生にお伝えすると「安心できるクラスを作る事が私の目標だったのでそう言っていただけて本当にうれしいです」と涙ぐまれていました。
娘のおかげで私だけではなく、担任の先生も喜んでくださり、とっても嬉しかったです。

③目標について
主人との結婚が決まった時、私は「ああ、これで私の人生はあと、大きなイベントとしては闘病と死去だけだな」と思い、なんだかこれから先の人生はもう何も無く惰性で進んで行くだけだと思っていました。ですが、お勉強を始めて、人生かけて叶えたい目標を持っている、また叶えている途中、もしくは叶ったのでまた新たな目標にまい進している方に出会い「私の人生もまだまだいけるのかもしれない」と思えました。
そうは思っても、自分をごまかしていた私は、どうせ無理だとか、チャレンジして出来なかったらどうしようとか、とにかく心は後向きで、みんなの前で聞かれたときだけ、良いカッコをして、前向きな私で振舞っていました。
何もやらないから、いつまでも出来ないままでした。ずっと変わりたくない私が街灯に群がる虫の様に、目標を持ってキラキラしている人の側にいる事で自分も何か良いものになった様に感じていました。
良いものになったと感じていた私が、子ども達に「夢は叶うよ」とか「将来の夢は何?何にでもなれるよ!」と聞いた時「そんなの無理だもん」「私にはできないから」と私の心のままの答えが返ってきました。
これは大変だ!と思いました。これはどんな人にでも言える事ですが、これから先の未来には可能性しかありません。子ども達だと、その可能性は本当に無限大なのです。それなのに彼らの母親である私が「無理」とか「できない」を見て何もせずにいたことで、彼らに「諦める事」を教えていたのでした。
このことも、ごまかしていた私を理解したから分かったことです。

子ども達は、先ほどの将来の質問の答えの通り、母親である私の心をそのまま写して、成長していきます。だから私は、私が目標に向かって歩いて行く姿を子どもたちに見せようと決めました。

子ども達が「今の私」の姿を見て「私」と同じような人生を歩んで行くのもとても良い事です。ごまかさなくて良い、ということ知っていますので「今のままの私」の人生でも十分幸せです。
私の周りにはそのままの私を大事にしてくれる人しかいませんし、仕事も好きなこと(キメツの推し活)もさせてもらっています。周りの人たちのおかげで「好きな事をできる私」です。

ただ「今の私」でも「こうなれたらいいなの私」でもどちらを選んでも良いのなら、こうなれたらいいなの私を想像した時、なれるならその私の方が絶対今よりもっと楽しいし嬉しい。
なぜなら「今の私」の「誤魔化す私」は、誤魔化さなくて良いと分かったけど、40年近く誤魔化す私で生きてきたので、ごく自然に、定期的に無意識にやっては、こんなはずじゃなかったのに…と現状と理想を比べてイラついたり落ち込んだりするのです。定期的にしんどい思いを必ずするんです。
「今の私」でいる、という方を選択したら、このイライラやどんよりともずっと付き合って行くのか…と。それなら現実と理想の差を埋めてしまえば、今の私の「定期的にしんどくなる」からは解放される。だったらきっと楽しいし嬉しい「こうなれたらいいなの私」を目指して歩いてみようと思いました。

ちなみに「こうなれたらいいなの私」は、自分が見栄をはって大きく見せていた私です。「見栄をはって大きく見せる」のではなく「本当にその私になる事を目標に人生を重ねている私」です。

「こうなれたらいいなの私」を目指して歩む事は、ごまかさなくて良いと分かった時と同じように、「無理」「できない」「しんどい」「つらい」は、全部私自身の思い込みから発生していた事であり、事実は全く逆で、相手の思いやりや真心だったと理解できる人生だからです。
「今のままの私」も十分楽しいけど、「こうなれたらいいなの私」になるための事を目指し積み重ねていける人生は、自分を知り、相手の見えない真心を理解できるので、楽しさや共有出来る人が何倍にもなり、絶対お得だし今よりもっと楽しいと思います。

そこで今の私の目標ですが、私と同じようにこんなはずじゃなかったと今の人生に納得できてない方や、この先の人生に希望を見いだせない方、本当は子供や主人にこう関わりたいのにできないと思ってしまっている方、職場の人間関係に疲れた方…そう思って動けなくなってしまった方たちに、そんなに楽しいの⁈と、思ってもらえるきっかけになりたいと思っています。

こうして一緒にお話しさせていただいているのも、何かのご縁だと思いますので、少しでも興味があればぜひ一緒にお勉強しましょう!

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